学生時代は、国民の健康に従事する仕事に就きたいと考えていました。また、職種は営業職を志望。この2つの軸で就職活動をしていたところ、MRという職種に出会いました。興和には、全国で事業を展開しているところにも魅力を感じて入社を決めました。
医薬品の情報を医師をはじめとした医療従事者に届けるMRには、専門知識が不可欠です。興和では入社後に十分な時間をかけた研修が行われており、新入社員も安心して仕事に就くことができます。先輩が後輩にノウハウや経験を伝えてくれる風土が根付いていることもありがたい点でした。
仙台支店に在籍した9年間のうち、最後の数年は後輩の指導にも力を入れました。1日の終わりにその日の出来事を伝えたり、定期的に若手を集めての勉強会を開催しました。講師役は、勉強会のテーマとなる分野に強みを持つ先輩社員にお願いしました。実はこうした取り組みは、私が入社間もない頃に先輩がしてくれたことでもあります。後輩の成長を支えることが、私を支えてくれた先輩への恩返しだと考えていました。
入社10年目に異動した広島支店では、チームリーダーを任されました。この時考えたのは、メンバー一人ひとりの強みや得意を生かした役割分担をしようということです。学術的な知識が豊富なメンバーもいれば、ムードメーカー的なメンバー、行動力抜群のメンバーなど、個性は様々です。それらをしっかり見極め、適材適所の配置を心掛けました。その結果、それぞれに成長してくれ、チームとしての成果を残すこともできました。
東京第一支店への異動にともなって就任したエリアマネージャーというポジションは、自分でも「まさかこの若さで」と思うタイミングでした。年上ながら部下になる人もおり、最初はやりにくさもありました。そんななかで心掛けたのは、みんなが楽しく働ける職場にすることです。医師と話すことが好きな人もいれば、職場のみんなと一緒に頑張ることが好きな人もいます。広島時代と同じように、一人ひとりの個性や志向に寄り添い、それぞれの人が伸び伸びと力を発揮できる職場づくりに努めています。
管理職になると、会社全体の方針を踏まえた行動も求められます。とは言え、現場には現場の事情や思いがあります。間に立つ私は、会社の意図をかみ砕いて現場に伝える、通訳のような役割であること意識してます。また時には、現場の思いを代表して経営陣に伝え、それによって現場を守る壁のような存在でもありたいと考えています。
部下を指導したり部署を率いるためには、部下を叱ることも必要だと言われます。しかし私は、そうは考えていません。自立した社会人であるメンバーたちを叱ることは、さほど効果がない気がするのです。
それよりも大切なのは、コミュニケーションです。私が不機嫌そうな顔をしていたら、メンバーは報告や相談をしにくくなります。その結果、思ったような成果も出にくくなります。そこで私は、できるだけいつもニコニコして、「何かあったらすぐに言って」と伝えています。失敗の報告も、プライベートな相談も何でもOKです。話してくれることが相手や状況の理解につながり、物事を前に進める第一歩になるのです。
私にとって一番うれしいのは、メンバーが自分の限界を突破し、成長した時です。いわば、自分をアップデートできた時です。数字での成果よりも、そういった時の方が私は嬉しいです。
興和は若い人にチャレンジさせてくれる会社です。意欲ある若手の挑戦をしっかりと支え、成長の後押しをすることが私の目標の1つです。もちろんその過程で私自身も成長し、支店長など、さらに大きな視野に立った仕事を目指していきたいです。かつて一緒に働いた仲間と、それぞれに成長した姿で再び一緒に働くことが、私の夢です。
大学時代は野球部で副キャプテンを務めました。仙台のMRによる野球チームでも、チーム立ち上げの中心メンバーに。その他にも中学校と高校で学級員を務めるなど、まとめ役を担当することが多かったですね。その経験がチームをマネジメントする今の仕事にも活きていると思います。
やはり野球をしている時が自分にとっても楽しい時間です。プレイ自体もそうですが、職場の仲間とプライベートな時間を通して会うと、相手の新たな一面を知ることができて、さらに楽しさが増しますね。
所属部署や掲載内容につきましては取材当時のものです。