COMPANY会社について

興和の歴史

綿布問屋から創業した当社が、約130年の歴史の中で様々な挑戦を続けグローバル複合企業体として成長した軌跡を、特徴的なトピックスを取り上げ紹介します。
ご紹介するのはほんの一部ですが、先人達が積み上げてきた努力が現在の私たちを支えていることをここから感じてください。

創業期1894~

1894年(明治27年)、服部兼三郎が綿布問屋「服部兼三郎商店」を創業。その後、名古屋市および近郊から関西・北陸・関東にまで工場を増やし、繊維事業として大きく発展しました。

PICKUP
TOPICS

1935年(昭和10年)海外初の駐在員事務所を新設
明治時代後期から社員が海外に派遣されていましたが、1935年、当時日本にとって最大の輸出国だったインドに海外初の駐在員事務所が設置されました。
この時期から海外各地に出張所・駐在所を設置し、駐在員を常駐させる形に替わっていきます。

再興期1945~

世界大戦中は海外の駐在所も相次いで閉鎖し、興和の歴史にも暗い影を落としました。しかし敗戦後の日本が復興に向かっていく中で、当社も「平和を興す」という意味を込めて社名を「興和」に変更。再出発を決意します。そのような中で新たに始めたのが「医薬事業」と「光学事業」です。この頃から興和の多角化経営がはじまっていきます。

※興亜紡績株式会社を興和紡績株式会社に商号変更とし「興和」の商号が初めて使用された。

PICKUP
TOPICS

1946年(昭和21年)「興和光器製作所」を新設
当時の日本の財産や日本人の特徴を活かせる産業として光学事業へ参入した当社。
1952年(昭和27年)には日本ではじめてのスポッティングスコープを製品化しました。
1947年(昭和22年)「興和化学」にて医薬品の生産を開始
人々の健康を守る事業への参入を決意した当社。名古屋に工場を、東京に研究所を設置して当社の医薬品製造の歴史はスタートしたのです。そして1960年(昭和35年)には総合胃腸薬「キャベジンコーワ」が誕生します。

発展期1970~

商社、医薬、光学の事業で発展してきた当社ですが、日本の高度経済成長期を経て興和もさらにそれぞれの事業が大きく発展していきます。

PICKUP
TOPICS

1972年(昭和47年)「フィリピン・ジャパン・アクティブ・カーボン(通称:PJAC)」を設立
興和は、環境素材であるヤシ殻活性炭の製造拠点として、ミンダナオ島・ダバオ市にPJAC(Philippine-Japan Active Carbon Corporation)を設立しました。日本からも駐在員を派遣し、現地のスタッフと共に工場の運営・管理を行っています。
1979年(昭和54年)興和紡績が三興印刷を設立し、印刷業に進出
興和グループは商品パッケージから帳票類まで大量の印刷物を外注していましたが、これをグループ内で取り扱うことに。ここから興和の印刷業がスタートします。

グローバル発展期1995~

国内はもとより、グローバルな視点で一貫したバリューチェーンの構築を目指して、興和はさらに発展していきます。現地法人も世界各国に設立され、グローバル企業としてますますの成長と遂げます。

PICKUP
TOPICS

1999年(平成11年)名古屋観光ホテルを子会社に
名古屋の老舗ホテルである名古屋観光ホテルを子会社化し、ホスピタリティ事業への参入をはたします。
2003年(平成15年)「リバロ錠」の製造承認を取得
高コレステロール血症治療剤である「リバロ錠」。この製造承認を取得し、興和で製造が開始されました。国内だけでなく海外にも販路を広げ、興和の主力製品に。

現在から未来に向けて2010~

時代の流れを捉え、人々の健康と幸せな暮らしに寄与するべく様々な挑戦を続けてきた興和。 これからも未来を見据え、さらなる発展を目指していきます。