現在、Kowa Indiaに出向し、ムンバイで働いています。当社は商社として、インドの製品を日本や台湾、トルコに輸出するとともに、日本の製品を輸入してインドで販売しています。私は化学、食品、建材の部門を担当していますが、このほかにもインフラや繊維、釣り具、レンズなどの部門があります。興和から出向している3人の日本人を含め、メンバーは27人。私の部署には5人の現地スタッフがいます。
インドは、人によって第一言語が違いますし、“暗黙の了解”といった日本特有の感覚も通じません。さらには時間の概念も異なるため、最初は戸惑うことばかりでした。今も大変さを感じることはありますが、私たち日本人がインドで仕事をさせてもらっているという前提のもと、リスペクトの気持ちを持って“インドの正義”に近づくよう心がけています。
最初は東京支店に配属され、OTC医薬品のルート営業に携わりました。スポーツをしていたので、『バンテリン』など自分が愛用していた商品を消費者に届けられる仕事はやりがいがありましたし、先輩にも恵まれ意欲的に働いていました。ただ、入社2、3年目辺りから仕事に変化を求めるようになり、その思いはやがて海外で仕事がしたいと言語化され、上司との面談でもその希望を口にしていました。
転機が訪れたのは2015年、語学研修でアメリカに滞在したことです。最初は語学学校に通っていましたが、現地で生活するうちにビジネスの授業を受けてみたいと思うようになり、会社の了承を得て転校し、さらに学びました。
帰国後は、OTC医薬品の輸出事業を担当しました。本社と、医薬品を販売する現地法人の間を橋渡しする仕事であり、海外出張も数多くこなしていましたが、海外で仕事がしたいという思いは変わりませんでした。そこで、英語以外の語学への興味から、再び語学研修への参加を希望したところ、人材開発室から「現地で働いてみるのはどうか?」とアドバイスを受け、ちょうど社内公募していたインド・スリランカ事業に応募し、インドへの赴任が決定しました。しかし、現地での業務はそれまでの医薬販売とはまったく異なります。「自分は役に立てるのだろうか」と不安もありましたが、同じくらい「どのくらい刺激的な仕事が待っているのか」という期待がありました。
先述の通り、大変なこともありますが、別部門からの挑戦でも活躍できることを証明したい思いで、頑張っています。インドでは、たくさんの新規ビジネスが同時進行しています。うまく具現化できるよう国を超えたチームワークを第一に、日本とインドの方向性がそろうよう努めています。様々な国を股にかけてビジネスに臨むため、世界情勢の影響をダイレクトに受けることになりますが、その渦中に自分も身を置いていると考えると、自分が世界を動かす役割の一端を担えていることに、大きなやりがいを感じています。
自分のチャレンジを支援してくれた会社には、とても感謝しています。この先もインドで働き、結果を出すことで恩返ししたいですね。その後は欧米勤務も経験してみたいです。
興和の事業は多岐にわたるため、事業部を超えていろいろな経験を積めるチャンスにあふれていますし、新しいサービスが生まれやすい環境も整っています。このフィールドを活用し、できる限り多くの事業に携わり、総合的に興和へ貢献できるようになることが将来の目標です。同時に、複数の事業部で働いた経験をもとに、社内の横のつながりを率先してつくれるようになりたいと考えています。
インドでの暮らしを通し、日本での当たり前が、当たり前ではないことを痛感しました。しかし、そんな日常を「たくさんの新しい経験ができる」という発想に転換することで、自分の生活にフィットさせようと試みることに。そのせいか、仕事でのちょっとしたトラブルに動じることがなくなり、むしろ対処能力が身に付いてきた気がします。
休日は、スポーツに飲み会と、忙しく過ごしています。会社の同僚はもちろん、現地で知り合った人とも積極的に交流していています。まとまった休暇が取れたときは、インド国内を旅することも。地方によって人も景色も変わるインドは、知れば知るほど奥深い国です。もっともっと世界を知りたいと思いますね。
所属部署や掲載内容につきましては取材当時のものです。